あなたの障害に寄り添った婚活サポート

障がい者専門の結婚相談所 Challenged to U

〒541-0053
大阪府大阪市中央区安土町2-3-13 大阪国際ビルディング31階
地下鉄 堺筋本町駅 徒歩1分 /  地下鉄本町駅 徒歩5分
 

受付時間
10:00〜20:00
  定休日  
不定休

詳細プロフィール

プロフィール

◾️名前:井上 篤志( いのうえ あつし)

◾️年齢 :35歳 (平成元年生まれ)

◾️出身地:兵庫県尼崎市

◾️住まい:大阪府大阪市

◾️家族:4歳年上の妻と0歳の息子の3人家族

趣味:料理を作ること、寝る前の15分読書、美味しいお店巡り

特技:『人との相性』や『抱えている問題点』を直感で見抜けます。

生い立ちや今までに経験したこと。※長文なので、興味のある方だけお読みください。

【幼少期〜学生時代  辛かった学生時代】

私は兵庫県尼崎市という下町で生まれました。父と母と兄の4人家族(大人になってから両親は離婚しており、父とは15年近く会ってません。)、小さな頃は周りの大人からとても可愛がってもらった記憶があります。

明るく素直で好奇心旺盛な子供でしたが、そんな私にネガティブな性格を植え付ける出来事が小学校3年生の頃に起こりました。
それは突然、髪の毛が全て抜け落ちてしまったことです。
ある日を境にお風呂に入るたびに大量の頭髪が抜けていき、気が付けば頭はツルツルになっていました。
その後、思春期に入る頃には外見を気にし始め、仲間外れにされることを恐れ、中学生から『カツラ』をつける生活が始まりました。私の通っていた中学校は小学校からの繰り上げの学生達の集まりだった為、みんなは僕に髪の毛がないことを知っていました。
突然カツラを被り始めた違和感から、友人達は僕をからかうようになり、とても悲しかったのを覚えています。毎晩こっそりとお風呂で「なんで自分だけこんな思いをしないといけないんだろ。」と声をあげて泣いていました。
高校入学の際は育ちのいい人たちが集まる学校ならイジメはないだろうと母親と相談し、県外の私立高校を受験し入学しました。幸いこの考えが当たっており、高校時代いじめなどは起こらない楽しい学生時代を過ごすことができました。

高校は進学校に通っていたのですが、私は全く勉強への意識は向かないタイプでしたので、卒業後の進路は大学進学以外の道を考えました。
高校生時代から料理を作ることが好きだったこと、父も料理人だったこともあり、料理の道を志すことに決めました。
 

【社会人〜生死を彷徨う経験を経て】

小さな頃、両親の結婚記念日にお祝いでちょっと贅沢な中華料理屋さんに行ってご飯を食べる習慣があったので、子供の頃から中華料理が大好きでした。

そんな経験をさせていただいたおかげで、私は中国料理の料理人として修行を始めました。

高校卒業後は調理師の専門学校に入り、1年後の19歳から私の社会人生活は始まります。
19歳〜27歳まで料理人を続け、高級ホテルや阪急デパート、北新地という東京でいう銀座のような街にあるお店で修行を積みました。
当時は毎日必死で苦労の日々でしたが、今振り返ると先輩方から愛情を持ってご指導いただいたと感慨深い気持ちになります。

料理人を辞めようと思ったのは、私が起こしたある大きな事故がキッカケです。
25歳の頃、段取りが悪く仕事が間に合っていない僕は先輩に毎日怒られ、長時間労働をしていたこともあり、意識が朦朧としていました。
中国料理では特殊なオーブンを使います。そのオーブンを使用する際は通常、予熱と言って、使う5分くらい前からオーブン内に火をつけ、温まった状態で食材を中に入れるのですが、予熱の際にきちんと中に点火ができておらず、ガスが充満している状態でした。
それに気づかず点火した私はガス爆発を起こし、上半身と顔面大火傷を負い、すぐに救急車で運ばれました。病院へ着くと ICUという集中治療室に運ばれ丸々3日間意識不明の重体に陥りました。
その3日間の記憶は私の中で全くないのですが、後から医者に聞くと生死を彷徨っていたそうです。

病床で目が覚めると母が絶望の表情を浮かべながらベッドの脇に立っていたのを覚えています。
なんとか意識を取り戻したのですが、本当の地獄はここからでした。

私は両腕と顔全体に火傷を負っており、火を浴びた場所は全て丸焦げで皮膚は真っ黒、一部はエグれた状態になっていました。
自分の姿を見たらショックを受けるという病院側の配慮で私の周りには、いっさい鏡が置かれていなかったのですが、たまたま映像が映っていないTVに自分の姿が映ったのを見てしまいました。
鼻は変形し、唇は熱で上唇と下唇がひっついてしまい、顔は焦げて真っ黒で、「るろうに剣心の志々雄」のようなイメージです。
自分の姿を見た時に思わず気持ち悪くなり、吐いたのを覚えています。

変わり果てた外見を見たショックも大きかったですが、この日から約2週間、40度近い高熱が続きました。火傷から体内に入った菌を追い出すために免疫機能が働いたようです。

食欲もなく、出される病院食は喉を通らないので、点滴から栄養を摂取し、自分でトイレに行くこともできないため、尿道カテーテルを通され、もちろん性欲もなく、痛みで毎日眠れず。食欲、睡眠欲、排泄欲、性欲、全ての欲がなくなった時、本当の意味で人は生きることを諦めるんだと知りました。
ベッドに毎日寝ているので、平衡感覚がなくなり、ベッドに座ることすらもできなくなっていました。何もできないことに悔しさ、虚しさを覚え「このまま殺してほしい。」と考えるようになりました。

こんな無気力な日々ですが、病院なので、毎日治療は施されます。
母を始め、病院のお医者様、看護婦さんはそんな落ち込んだ僕を毎日励ましてくれ、そのおかげもあって、なんとか元の生活に戻りたいという願望が生まれてきました。そこから少しずつリハビリを始めるようになります。


毎日座る練習、くっついた唇を開く練習、流動食から食べる練習。
こんな小さなリハビリを繰り返す内に、少しずつですが症状は良くなっていきました。
座ることができるようになり、歩けるようになり、唇が開き、食欲も少しずつ出てきました。
また火傷については元々は太ももから顔への皮膚移植を提案されてましたが、幸いまだ20代でしたので、細胞の入れ替わりが早く、それをすることなく、徐々に綺麗な状態に戻っていきました。
「若かったのが不幸中の幸いですね」と笑顔で担当のお医者様言われたのを覚えています。

なんとか松葉杖をついて歩けるようになり、無事に退院もでき、そこからさらに3ヶ月ほどリハビリを繰り返すと、顔も元通りに戻り、事故以前のような普通の日常を送ることができるようになりました。

元通りに戻れたことが本当に嬉しかったですし、入院中、生きることを諦めかけた僕をずっと支えてくれた母とお医者様、看護婦さん、病院関係者様には感謝しかありません。
今までは「食事をし、身体を動かし、毎日寝れる。」ということが当たり前でしたが、これが普通だと今まで思えていた自分は幸せ者だと気付くことができました。

【借金まみれと、妻との出会い】

病状が良くなってからも、一旦は料理人に戻りました。

やりたかったからではなく、自分にはそれしかできないと考えていたからです。
しかし、この頃から「これから自分はどんな人生を歩みたいんだろう?」と真剣に考えるようになりました。
人生が良くなりそうな本は全て読み、心理学や脳科学、コーチングなど、自己啓発、自己探求を学ぶための高額なセミナーや研修などに
総額850万円ほど使い、人生を変える方法を学びました。

勉強をした甲斐もあって、ようやく少しずつ自分に自信がついてきたので、この頃に料理人を辞め、個人事業主として全くの異業種のイベント業と不動産や人材紹介の代理店の仕事を始めました。


研修やセミナーを受講したお金についてですが、貯金はほとんどなかったので、支払いは全てローンで支払いをしています。高額を払い、学んだことに一切の後悔はありませんが、収入は多くありませんでしたので返済ができなくなり、リボ払いをしても返済が追いつきません。最初は仕事で大きな成果をあげれば、すぐに返済できると安易な考えを持っていましたが、そう簡単にはいきません。
最後は今のままでは返済できないと考え、弁護士さんに相談し債務整理という実質、自己破産に近い形をとりました。自分に対する自信は完全に失ってしまい、大火傷に次ぐ、人生で二度目のどん底の時期です。

そして、この全くお金がなく仕事でお金が入ってくるアテもない、自信もない、人生最悪の時期に出会ったのが今の妻でした。
出会いのきっかけは、知人からのご紹介でした、紹介と言っても異性としてではなく、仕事上でのご紹介です。
出会った時の印象は「
素敵な人だな」と感じたのと、同時に「今の最悪の時期にアプローチして大丈夫だろうか?」という葛藤がありました。そんな葛藤がありながら、ご飯に誘ってみるとOKをしてもらい、何度かご飯に行くことができたんです。後から、妻にこの頃のことを聞くと異性としてではなく、仕事でお世話になったし、紹介者の顔もあるから行ってただけとのことでした(笑)


私は女性とご飯に行く時は、お会計は自分が出すように心掛けています。
この時は人生の中で一番貧乏でしたが、日雇いアルバイトなどをしてお金を捻出し、ご飯をご馳走していました。

会話をしていく中で相手が辛い食べ物が好きだということを知り、僕も好きだったので美味しい麻婆豆腐を食べに行こうということになりました。
デートの予定日の当日の朝、運の悪いことに前日に食べたもので食当たりを起こし、下痢と嘔吐でトイレから出られず体調は最悪でした。
予定をキャンセルしようかとも考えましたが、せっかく、こじつけたデートです。
なんとか一緒に食事をしたいと思い、15分ほど遅刻をしましたが、体調が悪いことは伝えず、予定通り激辛麻婆豆腐を食べにいきました。
つらい顔は見せたくなかったので、何も無いかのように平然とお酒と食事を食べましたが、遂に限界が来てしまい、すぐにトイレへ直行、30分ほどトイレから出られなくなりました。
長時間トイレから出られず、不審がられると思ったので、正直に事情を伝えました。
「会う前から食中毒の症状があり、下痢と嘔吐を繰り返していたけど、どうしても一緒にご飯を食べたかったから体調が悪いけど来ました。今日は迷惑をかけてしまい、ごめんなさい。よかったらまた改めてもう一度ご飯に行きましょう」確かこんなふうに伝えた、と思います。

私は最悪な状況だと思っていましたが、実は後から聞くと
「体調が悪いのに、わざわざ来てくれて、本当に私とご飯に行くことを楽しみにしてくれてたんだ。」
と予想に反して、好印象だったようです。

体調は最悪でしたが本当に行ってよかったと思います。(笑)
その後、もう一度食事デートをし、自分の気持ちを伝え、遂に念願の交際が始まりました。

付き合い始めたのは8月4日でちょうど、花火シーズンです。
たまたま私の家のベランダからは、大阪で有名な淀川の花火大会がベストポジションで見れるのです。
早速、花火大会の日に約束を取り付け、当日は近所のスーパーでオードブルや、お惣菜を買って家に帰り、部屋に入った時に事件は起きました。
電気のスイッチを押しても電気が付かないのです。一瞬パニックに陥りましたが、すぐに事態を把握できました。実はこの時、お金がなさすぎて電気代を払えていなかったのです。
一人暮らしの電気代ですので、金額にして確か3,000円ほどだったかと思いますが、そのお金ですら口座に残っていないほど、当時はひっ迫してました。
すぐに電気会社に電話をし、支払いをしたら数時間で復旧しましたが、この時に自分のことを洗いざらい説明しようと決意しました。

大切な話があると伝え、借金を抱えていること、子供の頃から髪の毛が抜けてしまいカツラを被っていることを振られる覚悟でドキドキしながら、正直に伝えました。
それを聞いた彼女は僕を振るどころか
「大変な思いをしてたんだね、これから一緒に頑張ろうね!」と言ってくれました。

彼女に対して、こんなダメダメな自分を受け入れてくれた嬉しさ、自分への悔しさや情けなさで、涙が止まりませんでした。それと同時にこの人と一生一緒にいたい!自分がこの人を守ろうと決意したのをはっきりと覚えています。

不思議とこの頃から運気が急に上がり始めました。
仕事に困っていましたが、知人経由で人手が足りていないという営業の仕事をご紹介いただき、そこから5年間は生活を立て直すために、寝る間も惜しんで必死に働きました。
コツコツ努力したこともあり、営業成績はトップになり、その功績を認めていただき、管理職に出世し、収入も徐々に増えていき、無事に借金を返済できるまでに至りました。また、借金返済の目処がたったころに、プロポーズをして婚約をしました。
本当に大変な時期でしたが、この頃は妻を始め、職場の方達に助けられたお陰もあり、無事に乗り切ることができました。

【結婚相談所の開業】

自分が結婚したこと、また仕事が安定し、借金の返済目処が経ったこと、こういった理由が重なり、自分の中で何か「新しい仕事を立ち上げたい」という想いが湧いてきました。

ただ、仕事を始める上で、自分の中でいくつかの条件を作っていました。

それはこんな条件です。

「人を幸せにできる仕事」
「人の人生の転機に関わる仕事」
「自分がおじいちゃんになっても、ずっと続けられる仕事」

ただ、こんな想いは持っていましたが、実際にはどんな仕事がこの条件に当てはまるのかは検討も付かず、なんとなく色々な仕事を調べる日々が続きました。

そんなある日、友人から「結婚を考えている人がいるから会って欲しい」という連絡が入りました。
彼は結婚願望がないと思っていたので、びっくりし、一旦二人で会って話そうということになりました。

「どこで彼女と出会ったの?」と友人に聞くと、実はこっそりと結婚相談所に入会しており、そこで出会った女性ということだったんです。

僕はそれまで結婚相談所というものをあまり知らなかったので、たくさん質問をしました。

「なんで相談所に登録しようと思ったのか?」
「どんなシステムなのか?」
「いくら料金がかかったのか?」
「どんなサポートが受けられるのか?」
「どんな会員がいるのか?」
「何人くらいの会員がいるのか?」

聞けば聞くほど、真剣に結婚をしたい人には素晴らしいシステムだと感動し、まさに自分が生涯を賭けてやりたい仕事だと気づきました。
その後も半年ほど、結婚相談所について調べましたが、調べれば調べるほど、結婚相談所の仕事の素晴らしさに気づき、日々婚活のサポートをしたい意欲が高まりました。
結婚相談所は通常、会員を抱えている連盟に所属し、異性とのマッチングをするのですが、連盟には大小いくつかの連盟があります。会員のことを考えると、できるだけ多くの会員が登録している方が選択肢が広がり、マッチング率も上がるため、弊社は国内で唯一上場をしており会員数でも最大手のIBJに加盟をすることにしました。

 

【普通の結婚相談所から障がい者専門へ】

結婚相談所をオープンし、SNS、インターネット上での告知をスタートしました。
友人からご紹介いただいて入会いただく方もいたのですが、ご相談者の中で一番多かったのが障がい者からのご相談でした。

「障がい者でも入会できますか?」
「私を理解してくれる人はいますか?」
「障がい者同士で結婚したいんです。」

こういったご相談です。
私は今まで、福祉の仕事に携わったことはありませんので、最初はそういったご相談はお断りしてました。また周りの結婚相談所の仲人さんに障がい者からの問い合わせが多いことを相談しても、ほとんど全ての相談所が「障がい者はサポートが大変だから、正直、あんまり積極的に受け入れたくない。」という意見が大半だったのです。
最初は私自身も前向きではありませんでしたが、よくよく自分の過去を振りかってみると、実は前職で管理職をしている時に、ひどい精神的ストレスを抱えたことが原因で「不安障害 及び パニック障害」を患ったり、自分の身内の中に障がいを持っている人がいることを思い出しました。そんなことを考えると、障がいを持っている人が、遠い存在ではないことに気がつきました。

また結婚相談所業界の風潮として、実はハイスペックな男性や、若くて綺麗な女性の入会には積極的ですが、そうではない方に対してはあまり前向きではありません。
なぜかというと、ハイスペック男性や美人女性はあまりサポートをしなくても勝手に結婚していき、自社の成婚率UPにつながるからです。こういった事情から、先ほどあげたような成婚率の高そうな人はコッソリとかなりの低価格、または、無料で入会させている相談所も中にはあります。

また結婚相談所には、人によってサポートの手厚さを変えるというマニュアルがあります。
では、どんな人がより手厚いサポートを受けられるかというと「早く結婚できそうな人」です。
本来サポートをしなくても勝手に結婚できるようなスペックの高い男性や若くて綺麗な女性を手厚くサポートして、結婚に時間がかかりそうな人たちはあまりサポートしないということです。
なぜそうするのかというと、これも「うちは成婚率が高いですよ」と宣伝できるからです。

こういった裏事情を知った時に私は
「本当に婚活に困っている障がい者に必要な婚活サポートが行き届いてないのではないか?」
という疑問を抱き始めました。
また、最初は前向きではなかった障がい者の婚活サポートについても、私自身が精神障害を患っている点、また、身近に障がい者がいたことから、「やるなら私しかいない!」という気持ちが芽生え始めました。
その後、障がい者の婚活サポートをするにあたり、名古屋に拠点を置いている、障がい者専門の結婚相談所連盟であるチャレンジドマリッジの研修を受け、障がいに関する勉強をし、また自分でもあらゆる障がいに関する書籍を読み、知識をつけ、「障がい者専門の結婚相談所 Challenged to U」をオープンし、現在に至ります。

お陰様で、スタートから1年間で500名近い方のカウンセリングをさせていただき、日々お役に立てていることを嬉しく思うとともに、皆様のために更にサービス拡充に努めてまいりますので、引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。

障がい者専門の結婚相談所 Challenged to U  代表 井上 篤志

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